2012-07-17

お知らせ


入院したりいろいろあったもので、更新滞ってます。
今夏また入院するので、秋冬あたりまでオヤスミします。


2011-11-06

Salvatore Licitra



此方にアンテナ貼り忘れていたので、亡くなったこと知らなかった・・・。
この動画はイタリアの追悼番組みたいです。

2011-10-30

團先生は歌詞優先

一ヶ月ぶりのレッスン、また先生の師匠である團伊玖磨先生の歌曲ということもあり、かなり緊張して臨みました。

「わがうた」
北山冬一郎(ふゆいちろう)作詞、團伊玖磨作曲
・序のうた
・孤独とは
・ひぐらし
・追悼歌
・紫陽花

この曲だけ。
これだけを徹底して持っていくことにしました。

先生曰く
「團先生がこの『ひぐらし』を木下先生(木下保)に持っていった時
『君もようやくリートを書けるようになったね』
と褒められたと仰ってました」
というほど、難しい、リートの真髄が詰まった曲。
もちろん「ひぐらし」だけじゃなく、この曲本当難しいんですが。

「團先生と中田喜直先生は同じ学校の先輩後輩だったのだけど、團先生はよく
『中田先生はとても美しいメロディを書くけれど、自分はひねくれているからあんな美しいメロディは書けない』と仰いました。
團先生は歌詞重視で、元になる歌詞を何度も何度も読み込み、それを音楽に合わせる方です。
だから團先生の曲を歌う時は、先ず歌詞をしっかり朗読し理解して感じてから、團先生がどのように音と合わせているのか、音楽で歌詞を表現しようとしているのか、学ばなくてはなりません。」
「反対に中田先生は歌詞よりメロディ重視の方だったので、詩が抜けていたり、歌詞を間違ってしまっても気にしなかったのよ。」

日本歌曲に限らず、
歌詞を読み、背景や情景感情を理解し表現すること
は重要ですが、
日本人で日本に生まれ育ったならば、誰よりも深く日本歌曲を歌い切る
ということがあたりまえだ、とは先生の論であり、私もそう思います。
ですから、日本語の発音はアクセントやイントネーションまで自然に聞こえるように歌うのは勿論、歌う場合、その情景が観客に聴衆に思い浮かべることができるように歌わねばなりません。

そのためには、
「役者に勝るほどではないが、劣らないほどに詩を朗読朗誦できること」
これがあたりまえであり、その上で
「どう歌で表現するか」
ということが、先生の求める日本歌曲です。

そんなわけで、日本歌曲だけでもまあドキドキなのに、先生の師匠團先生の歌曲。
いやはやもう・・・緊張しまくりということでした。

結果的には
「詩を朗読し、理解表現しようという形跡を見られました」
というお褒めの言葉(一応)はいただけました(´▽`*)

この歌曲が難しいことと、初めて先生の前で披露したことから、
・楽譜より、もう少し揺らしても良い
・「ひぐらし」「日暮れに」は鼻濁音で。
・追悼歌はペダル無しで
・ブレスを入れても良い部分、無しで死んでも一息で行く部分
(「"ひぐらし"と"紫陽花"は歌う人多いけど、みんなここで切るのよ」と先生ご不満)
・感情を込め、表現する部分の先生の解説
(それを踏まえて自分でどう考え表現するか)
等々を指導いただきました。

特に「追悼歌」の最後の部分は難しく、私はつい、今の世情もあって"怒り"が先にくるのですが、怒りだけではない心情・表現が・・・難しすぎる。
「木下先生はこの最後の部分、陽が遠くに少しずつ落ち、消えていく情景が浮かぶように歌うことができる方でした。」
と、それを目指して研鑽していきなさいとの言葉。
本当に難しいですが、何年かけようと学ばねばなりません。
「今すぐそう歌うのは無理だし、今のあなたの年齢や経験なりに歌える最大で良いのよ」
とは仰っていただけましたが。

しかし。
この作詞をされた北山冬一郎氏。謎の詩人とのことでしたが、
「團先生の処にふらりと詩集を持って現れ、二、三日逗留したかと思うとふらりといなくなった」
という"風来坊"みたいな"変わった"方だったようです。

また。
次回以降の曲ということで、高田先生の曲もいただいてはいますが、
「"夕鶴"・・・やる?」
ということで、二度目!行きます!!!
先生から直接夕鶴を学べるなど、もう幾らもないかもしれません。
年末年始にかけて前回以上に理解を深め、研鑽し、表現できるよう頑張りたいと思います。

2011-10-28

さて。

PCが壊れてHDD交換という事態になってしまい、ブログ更新も久々となってしまいました。
ここ数ヵ月よくフリーズするなとは思っていたんですよね。。。

それはともかく。
明後日のレッスン前、最後の合わせを終えての帰途。
『わがうた』の作詞者北山冬一郎氏の情報が殆どなく、
戦後すぐに出された詩集『祝婚歌』の中から、團先生が数篇選び曲を作った。
ということだけ。
北山氏がどんな人か、詩の背景の説明が無いぶん、好きに想像できそうですが、難しい。
かなり細かく設定し曲調や詩のイメージを伴奏者さんに伝えねば…(゚ー゚;A

ただ上手く歌うだけでなく、観客に情景が浮かぶように歌う

が先生の求める歌であり、そこにどれだけ近づけるか。
あと二日、しっかり歌詞を読み込んで理解を深めていこうと思います。

2011-09-19

ぃやったあ!!

一発OKですよ!!
抒情歌~花季、路地の子、藤の花、
二つのロンデル~雨と風、さくら横ちょう。

前々回に引き続き、前回レッスンも散々だったので本当に緊張感いっぱいでしたが。
この一週間は読みたい本も録画も手につけず、なるべく歌、曲、歌詞に集中。
とにかくイメージ、歌詞や楽譜の解釈に頑張りました。
その甲斐あって
「ここまで浚ってくれば中身のある深いレッスンが出来るでしょ」
と先生に。

ひっさびさに先生の大きく頷く顔とOKサインを見ました(〃∇〃)

加藤先生の本も読んだ甲斐が!(あまりの分厚さと難しさと値段に立ち読み。後日買います)

「歌は観客に聞いていただく、という意識が必要。
   演技ということではなく、目線や表情、仕草は歌い後奏が終わり余韻が消えるまで考え表現しなさい。
   表情視線、溜め息まで含め全て歌です。」

「伴奏と観客の呼吸も含めて自分で歌にしていかねばなりません。」

しばらく日本歌曲一本に絞る予定。
團先生と高田先生の歌曲が課題です。
多分私も伴奏者さんも譜読みが大変なことになるでょうが、
今はとりあえず嬉しすぎて喜ぶことに専念します!

2011-09-13

自分の中に。

曲・詩の解釈やイメージをする場合、
自分の中にあるものを使うわけですが。

今回はなかなか大変(T△T)

無いから大変って言うより、
自分の中の踏み込みたくない部分に触れる、
心理的ブレーキというか、
そういうものがあるようです。

今回の震災・原発事故に関わる景色風景に関わるというか、
あそこらの場所での思い出に関わるので、
なんかこう、避けてたようで。

でも歌として昇華するのが一番なんですよね。
自分ではわかってるというか、
人に話しても文章にしても画に描いても、ピアノ弾いても違う。
歌でしか昇華出来ないのはわかってて、
他は全て不完全燃焼になるので、
思い切って自分の中に踏み込んでいかないと!

今回の記事は意味わからないかもしれませんが、
まあ独り言です。

2011-09-09

詩を読もう

明日はレッスン後初伴奏合わせです。
自分なりに詩を、曲を解釈イメージしたものの、
「それはあなたの解釈で良いと思うけど、
 私はそうじゃない、こう思うのよ」
と直されたものを咀嚼解釈し直さねばであります。

先生は基本
「個々人いろんな解釈があって良い」
として下さいますが、
結果的に良い歌になった場合のみ。
歌の出来が素晴らしかった場合のみ。

つまり、
「あなたの解釈は?」
と先生に聞かれ、答え、先生が
「私はこう解釈するのよ」
と言った場合、私の歌・解釈は好くないという(T△T)

今回の「二つのロンデル」作詞の加藤先生は、
やっぱり出版されてる(たくさんあるけど)本を読んだ方良さそう。
本当にたくさん出ているけど・・・。
加藤周一著作集 amazon検索結果

「二つのロンデル」は別宮先生と加藤先生が協力し合って出来た曲。
少しも疎かにしてはいけない、
してるつもりは無いですが・・・はぁ。勉強足りないな、反省です。