2011-10-30

團先生は歌詞優先

一ヶ月ぶりのレッスン、また先生の師匠である團伊玖磨先生の歌曲ということもあり、かなり緊張して臨みました。

「わがうた」
北山冬一郎(ふゆいちろう)作詞、團伊玖磨作曲
・序のうた
・孤独とは
・ひぐらし
・追悼歌
・紫陽花

この曲だけ。
これだけを徹底して持っていくことにしました。

先生曰く
「團先生がこの『ひぐらし』を木下先生(木下保)に持っていった時
『君もようやくリートを書けるようになったね』
と褒められたと仰ってました」
というほど、難しい、リートの真髄が詰まった曲。
もちろん「ひぐらし」だけじゃなく、この曲本当難しいんですが。

「團先生と中田喜直先生は同じ学校の先輩後輩だったのだけど、團先生はよく
『中田先生はとても美しいメロディを書くけれど、自分はひねくれているからあんな美しいメロディは書けない』と仰いました。
團先生は歌詞重視で、元になる歌詞を何度も何度も読み込み、それを音楽に合わせる方です。
だから團先生の曲を歌う時は、先ず歌詞をしっかり朗読し理解して感じてから、團先生がどのように音と合わせているのか、音楽で歌詞を表現しようとしているのか、学ばなくてはなりません。」
「反対に中田先生は歌詞よりメロディ重視の方だったので、詩が抜けていたり、歌詞を間違ってしまっても気にしなかったのよ。」

日本歌曲に限らず、
歌詞を読み、背景や情景感情を理解し表現すること
は重要ですが、
日本人で日本に生まれ育ったならば、誰よりも深く日本歌曲を歌い切る
ということがあたりまえだ、とは先生の論であり、私もそう思います。
ですから、日本語の発音はアクセントやイントネーションまで自然に聞こえるように歌うのは勿論、歌う場合、その情景が観客に聴衆に思い浮かべることができるように歌わねばなりません。

そのためには、
「役者に勝るほどではないが、劣らないほどに詩を朗読朗誦できること」
これがあたりまえであり、その上で
「どう歌で表現するか」
ということが、先生の求める日本歌曲です。

そんなわけで、日本歌曲だけでもまあドキドキなのに、先生の師匠團先生の歌曲。
いやはやもう・・・緊張しまくりということでした。

結果的には
「詩を朗読し、理解表現しようという形跡を見られました」
というお褒めの言葉(一応)はいただけました(´▽`*)

この歌曲が難しいことと、初めて先生の前で披露したことから、
・楽譜より、もう少し揺らしても良い
・「ひぐらし」「日暮れに」は鼻濁音で。
・追悼歌はペダル無しで
・ブレスを入れても良い部分、無しで死んでも一息で行く部分
(「"ひぐらし"と"紫陽花"は歌う人多いけど、みんなここで切るのよ」と先生ご不満)
・感情を込め、表現する部分の先生の解説
(それを踏まえて自分でどう考え表現するか)
等々を指導いただきました。

特に「追悼歌」の最後の部分は難しく、私はつい、今の世情もあって"怒り"が先にくるのですが、怒りだけではない心情・表現が・・・難しすぎる。
「木下先生はこの最後の部分、陽が遠くに少しずつ落ち、消えていく情景が浮かぶように歌うことができる方でした。」
と、それを目指して研鑽していきなさいとの言葉。
本当に難しいですが、何年かけようと学ばねばなりません。
「今すぐそう歌うのは無理だし、今のあなたの年齢や経験なりに歌える最大で良いのよ」
とは仰っていただけましたが。

しかし。
この作詞をされた北山冬一郎氏。謎の詩人とのことでしたが、
「團先生の処にふらりと詩集を持って現れ、二、三日逗留したかと思うとふらりといなくなった」
という"風来坊"みたいな"変わった"方だったようです。

また。
次回以降の曲ということで、高田先生の曲もいただいてはいますが、
「"夕鶴"・・・やる?」
ということで、二度目!行きます!!!
先生から直接夕鶴を学べるなど、もう幾らもないかもしれません。
年末年始にかけて前回以上に理解を深め、研鑽し、表現できるよう頑張りたいと思います。