祖師ヶ谷より
(作詞 深尾須磨子、作曲 山田一雄)
・この組曲は、
『心さびしくなるときまって祖師谷の山の端の深尾の小母さまのところへ行って
一日をすごしていた頃でした。
(第二次世界大戦の降伏を宣言した)その八月といえば
日本じゅうの誰もがおなじこと、
このわたしにもどうにもならない虚無が宿っておりましたので、
その辺りの釣鐘池やくぬぎ林のの小径も、
さては鳥や花までもが侘びしい私に
やさしく話しかけてくれる思いがいたしました。』
(祖師ヶ谷より ことば から抜粋)
この時の約束として、山田一雄先生のために
深尾先生が「まるで女王様のような健やかげな態度で」朗読され、
それから十日間夜通しで生まれた12の歌曲です。
『なお、これを初めから終わりまで通して歌えば、
私の胸から流れた深いかなしび大きなよろこびが更によみとれるものと
考えられるこの頃であります。』(同上から抜粋)
私の先生が山田一雄先生深尾先生から直接教わったことを覚え書き。
・全体的に曲の終わりは楽譜以上に余韻を残しのばすこと。
・歌詞がしっかり聞き取れるように明瞭に、
朗読した上で気持ちが伝わるように情景が浮かぶように歌うこと。
♪序詞
・伴奏ともに、祖師ヶ谷の山々、自然の雄大な様子が感じられるように。
・「住まい候」の二回目は念押し、やまびこのように。誇らかに。
・「ここも」からは揺れて(音楽的に)楽しげに弾むように。
♪祖師谷
・allegro(120より速くならない)ふざけて軽く、楽しげにからかうように。
・「えまどう(絵馬堂)」のこと。
・「あさは」から更に情景が浮かぶように愛おしげに
・後奏subito scherzandoは軽快に少しテンポアップで。
・後奏最後の3小節は雰囲気を変えて、次の曲への流れ
♪道しるべ
・遅く重たくなりすぎないよう注意
・相撲の呼び出しか、電車バスの案内のように朗々と。
・「そこの」からは少しテンポを上げ(遅くならない)
・「~も、あるのよ」という強調を明るく
♪釣鐘池
・Andante(84くらい)
・人々の憩い・生活の場であった釣鐘池、
広くなみなみと大きな池のようにゆったりと流れるように
・16小節目からの伴奏は水面のきらきらした様子を表す
歌は湖面を触れる風のように歌詞はっきり軽く流れるように
・「里の娘」からは里娘のちゃきちゃきさが表れるように
・「おしめも」からはにぎやかな様子で
・「ああ」のpfのf部分を忘れず気持ちと共にしっかり強調する。
・「揺れて」からは後奏が終わるまでのばすこと。
♪小径
・軽く、でもぶつ切りにならないよう注意
・「ひをもとめて」は少し気持ちを込めゆっくり
・後半「細い径」の「みち」は想いを込めて
・最後はピアノと同じ処までのばしきる
♪葦
・湖面(川岸?)に深く根を張る大樹と宮本けんきちさん(哲学者)を重ねている。
・「哲理を」のフレーズは情景が浮かぶように歌う。
・「かなしい」からは少し雰囲気が変わり、ギリシャ神話
♪花鳥
・allegro(132より速くしない)
・歌詞をはっきり、どたばたしないで軽やかに。
・「la」からは鳥の歌い声のように軽くさえずる
・「そして」からはすずめの賑やかさ軽やかさ、そのさまをおかしく。
・ピアノと同じ処までのばし、最後の音と一緒に歌詞もしめる。
♪杢太郎さん
・120くらいで速くならない、少しどっしりと、ぶつ切りにならないように。
・ピアノはあまりペダルを踏まないよう注意
・「おえらい」部分と「ところでおれたち」とは役を演じるように変えて
・「ではなかろうか」はpだけどはっきりきっぱりと、自信を持った口調
・この頃は戦争が終わったばかりでとても野菜が貴重。
その野菜と作ってくれた杢太郎さんへの感謝や愛情を込めて最後歌う。
♪闇夜
・120くらい。軽やかに可愛く。伴奏共にそっと静かに優しく。
・「あれはどこの」感情を込めて一息に。
・「あれは」の二回目は感情の込め方を変え、薄闇にぼんやりした感じ
・「小田原提灯」は軽く
・最後は歌と後奏は重なる。後奏2小節までのばすこと。
♪小屋ずまい
・ペダルは踏まない(楽譜にはあるが)
・ユーモラスに、タケノコキノコ、それぞれ生えてる様を表すように。
・「手押し」からは明るく軽やかに流れるように、速くなりすぎない。
・「ソロモン王に」明るく軽やかに夢見るように。
♪INTERMEZZO(ピアノ)
・昔の祖師谷の自然が景色が浮かぶように、風や鳥が感じられるように
♪結び
・序章と注意は同じ
・「かにかくに」ははなしかけるように、歌わない
・最後の挨拶なので、そこをよく考え愛情深く感謝を込め歌う。
先生曰く
特にこの後奏はマーラー交響曲4番最終楽章に似ている。
山田一雄先生はマーラーを大変尊敬していたし、
日本で最初にマーラーを指揮したのは山田一雄先生で戦争中だった。
そういう背景も考え勉強し歌い弾くこと。
山田先生は深尾先生のことを本当に尊敬し、大好きな小母さまであり、
戦中戦後の大変な時にリュックを背負い野菜をいただいたり、
話を聞いていただいたり、かけがえのないひとだったそう。
深尾先生も山田先生のことを可愛がっていたと。