AIYANの歌
(作詩:北原白秋 作曲:山田耕筰)
・この組曲は、北原白秋のこよなく愛した故郷
柳河の様々な風情をうたった
『柳河風俗詩』(詩集『思ひ出』所載)
から五つの詩を選んで山田耕筰が作曲したもの。
・所々に柳河方言が用いられており、
九州西北部独特の情緒を醸しだしています。
・明治末~大正~昭和初期の感覚をイメージ。
女性のモダン(モガ)でハイカラな
竹久夢二の絵に出てくるようなイメージを持つ。
・この歌も、詩がとても大事なので
発音子音をしっかりと聞こえるように、
また日本語のアクセントを間違えず気をつける。
・伴奏と掛け合いをしっかり組み合わせる。
前奏から歌、歌から後奏へは違和感の無いよう、
音を重ね合わせること。
・伴奏はペダルが無い・切るべき処は踏まないこと。
♪NOSKAI
・『NOSKAI』は"遊女"の柳河方言。
・『BANKO』は縁台のこと。ポルトガル語の転訛か。
・全体は七・五調四句の韻律でリズムを
しっかり朗唱朗読すること。
・夕暮れのお堀端にて、片隅に寄せたBANKOに
座り物思いにふける美しく儚く艶っぽい遊女の姿。
・misterioso ed oscuramente
ミステリアスでおぼろげな前奏から。
・delicatissimo e dolcissimo
歌が入ると伴奏は繊細に優しく、
歌はsempre sotto voce 常にささやくような声で。
・はなあやめのように。
(花言葉=「優しさ」「心意気」「優しい心」「優雅」等)
♪かきつばた
・『ONGO』は「良家のお嬢さん」の柳河方言。
・昼(ONGO)と夜(芸者)の対比をしっかりと。
・in fretta=軽く素早く、さっと。
堰をを落ちる感じ?
esitare=優雅にかつ憂い気味に、ためらうように
水路をゆるやかに流れる
・grazioso e malinconico
優美に物憂げな感じで。
・全体を通し流れを感じさせ、対比をしっかりと。
・parlando e poco lento
歌い上げず喋るような感じをきっちり出す。
・ketsguri(けつぐり=カイツブリのこと)
から始まる最後二行は柳河方言の童歌。
・かきつばた
=伊勢物語や万葉集、世阿弥の狂言には
ずっときてくれない恋人を待つ心情に使われる。
♪AIYANの歌
・『AIYAN』は下女や子守女の柳河方言。
・「ちゅうまえんだ」は白秋家の菜園名。
(北原家は江戸以来栄えた商家だったが、
明治に大火で全焼以来家産が傾き始める。
この火事の"赤い"イメージが白秋に大きな印象を
残したと先生の言葉。)
・abbandono=軽快・奔放、無頓着に蓮っ葉に。
・in modo minaccevole=脅かすような、差し迫った感じ
・『UNTEREGAN』はオランダ語の転訛かとあるが、
Untergang(ドイツ語で「失脚・没落・堕落」なので
似た感じかもしれない)
「あん畜生!」ときっぱり罵るけれども
(marcato ed energico=きっぱり目立ち力強く)
「あん畜生」から「ふたごころ」にかけては
浮気男に対する怒りと愛憎ない交ぜの気持ち。
・「わしゃ」から未練ひとすじの感情を入れつつ、
後奏が終わるまでのばす。
♪曼珠沙華(ひがんばな)
・夏の終わりから初秋にかけ畦道や墓地に咲く、
妖しい世界黄泉の国への導きの灯のような花。
・白秋は家の大火以来「赤」に対するイメージは
恐ろしい怖い妖しいイメージ。
・また一番の親友だった中島鎮夫があらぬ疑いに
憤り喉を突いて自殺し、現場に駆けつけた白秋の
目に焼き付けられた「流れ出た真っ赤な血の色」
「血のような赤い恐怖」が謳われている。
・『GONSHAN』は「良家の子女」の柳河方言。
(『ONGO』との使い分けはよくわからない)
・全体として重たくならず、流れるように歌い上げず
語りかけるような感じで。
・全体に靄・霧がかかったようなイメージで。
・『M』は絶対に音を飲み込まず発音すること。
♪気まぐれ
・『Odan』は私という一人称。
『Odan mo iya』『Tinco sa!』は柳河方言
「あたしゃもう厭だよ、まったくもう!」。
暗く陰鬱な感じは全く無い。
また『Odan mo iya』は一息でたっぷりと。
・ポルタメントはついてない処はつけない!